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その日、楓はそわそわして落ち着かなかった。
その日は日曜日で、楓の家に雫がやってくる日だった。
楓は一人暮らしをしていた。父が経営する高級マンションの一部屋を借りて住んでいるのだ。
セキュリティは万全で、交通の便もよく、ホテル並みに綺麗なので人気の高いマンションである。しかし、その分、家賃は高い。
けれど、楓の場合は家賃はかからず、親の仕送りで生活している。高校生にしては贅沢な生活だ。
楓は時計を見た。針はもう少しで十五時をさすところであった。
「そろそろ、雫が来る。迎いに行こう!」
力強く言い、自分の頬をパシッと叩いた。玄関で靴を履き、外に出る。
玄関は自動で鍵がかかる仕組みになっていた。開ける時は、上についているカメラに顔を向けるだけで良いのだ。
眼の網膜が鍵の役割を果たしているので、カメラにあらかじめ登録されている網膜なら扉が開く仕組みである。
楓はエレベーターに乗り、一階に下りた。一階のホームはとても綺麗で、まるでホテルのようだ。
そこには受付があり、マンションに入るには、まずここを通さなくては入れないのだ。
警備員もちゃんといて、二十四時間、住人の安全を守っている。
受付の方を見ると、そこには雫の姿があった。
「雫!」
雫は楓の方を振り返った。一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「楓君」
楓はすぐ雫に駆け寄り、受付に話を通した。楓が出てきたので、受付の方も驚いているのか慌てて、愛想笑いをする。
楓はそんなことは、お構いなしに雫の手を引いてエレベーターに乗った。
「楓君のマンション、綺麗だね」
「父さんの話によると、一応、ホテル並みに綺麗な造りにしたみたいなんだよ」
雫はエレベーターの中を見渡した。エレベーターの中でさえ、凝っている。楓は雫に気付かれないように雫を見た。
白いフリルのブラウスに赤いミニスカートを穿(は)いている。髪もいつもはおろしているのを、上にあげていた。
雫は何を着ても、可愛いと楓は思った。
不意に、楓は雫と二人っきりだという事に今更ながら気づいた。
楓は途端にその事を思い知らされ、緊張してきた。手に汗が滲む。
「楓君。着いたみたい」
雫はそんな楓をよそに、にこっと微笑んだ。
そして、エレベーターから降りた。楓はギクシャクしながら、自分の部屋に案内した。
カメラに顔を向け、扉を開ける。雫は感心しながら言った。
「セキュリティ完璧だね」
雫は靴を丁寧に脱ぎ、上がった。楓も後から続く。
「楓君の部屋はどこ?」
「すぐ右の扉だよ、散らかってるけど、どうぞ」
楓は扉を開いて、雫に中に入るよう促した。部屋は青で統一されていて、綺麗だった。
真ん中に丸型の小さなテーブルがある。
「楓君の部屋綺麗。小さい頃から変わってないね」
「そうかな?適当に座ってて。今、お菓子とか持ってくるから」
「いいよ、そんなの!気を使わなくて良いから」
「いいから、雫は座っていて。ね?」
楓がにっこりと微笑むと、雫も了承したようだ。そして、部屋の真ん中に腰を下ろす。
楓はすぐリビングに行き、あらかじめ用意してあった紅茶とクッキーを運ぶ。
雫の隣に腰を下ろし、紅茶をテーブルに置いた。そして、紅茶をティーカップに注ぐ。
「雫、紅茶好きだよね。これで飲んでみて」
「ありがとう、良い香りね」
ティーカップを受け取り、香りをかぐ。雫の笑みを見て、楓は心底嬉しかった。
「何にも無いけど、ゆっくりしていってね」
その時、雫の携帯が鳴った。雫は慌てて、ティーカップを戻しバックから携帯を取り出す。
着信画面には【椿】と表示されていた。その途端、雫の顔色が変わったのを楓は見逃さなかった。
「ごめんね、楓君。ちょっと待ってて……もしもし、何……?そう、わかった。大丈夫。はい。じゃあね」
電話切った雫の顔には、安堵の色が浮かんでいる。楓は心配になり、いてもいたってもいられなかった。
「誰から?椿?」
「ええ、椿から。帰り迎いに来るって」
雫は微笑んだ。その笑みは痛々しくて、見ているこっちも辛くなった。
「雫、何があったの?話してみてよ」
楓の瞳は真剣だった。雫もその瞳を見て、楓が心配してくれている事はすぐ解った。
不意に雫の瞳から、涙が零れ落ちた。
「雫!どうしたの!?無理言ってゴメンネ。何も話さなくていいから」
「違う……そうじゃないの……私、楓君に話したい事があったの……」
雫は涙を拭うと、真っ直ぐ楓を見つめた。その瞳は今まで、見た事がないほど鋭く光っている。
「椿を止めて欲しいの」
「どういうこと?」
楓は意外な告白に、驚きながらも冷静さを保つ。雫は目を伏せ、静かに淡々と言った。
「私はあの子が―――椿が怖い。あの子は一生私を放さないつもりなの。だから」
雫は言葉を止め、楓を見た。真っ直ぐ、覚悟を決めた瞳。
楓はその瞳に圧倒されながらも、雫のためなら、どんな事でもしようと決めていた。
「何、雫?雫の為なら、何でもするよ。だから、言ってみて」
雫は、はっきり聞こえるように言った。
「―――椿を殺してくれる?」
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とある有名私立高校。この高校に一般人はほぼ入学できない。
なぜなら、ここは社会的地位が高い者、いわゆる上流階級の子息が入学する金持ち専用高校だからである。
完璧な環境と設備。有名デザイナーが手がけたと言われる白い制服―――それだけ色々と金を使う。
しかし、極一部に一般人がいる。そういう生徒は、頭脳が高いなどの【特別】な生徒だ。
特別な生徒の場合に限り、授業料を減免してくれる。
そんな高校に転校してきた少年―――神楽椿は自己紹介で必ず言う台詞を言った。
椿は女の様な綺麗な顔立ちだった。そして、肌は雪のように白い。
痩身で身長が高く、足が長い。一目でクラス皆の目を引いた。
教師が椿の事をクラスに伝え終わり、椿は自分の席に向かった。
一番後ろの窓際の席。椿は静かに椅子を引き、座った。
隣に座っている女子の視線や担任の話を無視して、窓からの景色を見た。
広いグラウンド。椿はその広過ぎるグラウンドを見つめた。
何処かのクラスの男子がサッカーをしている。かなり、盛り上がっているようだ。
休み時間を告げる鐘が鳴った。と、同時に椿を囲むクラスメイト。
口々に椿に問いを投げかける。
「神楽ってあの、【神楽財閥】か?」
「ねぇ、前はどこの高校なの?」
「何で転校してきたんだ?」
椿は無言で席を立った。一瞬、クラスメイトがすくんだ。
冷たく一瞥すると、椿はにこりと微笑んだ。
「悪いんだけど、用事があるから……失礼するよ」
椿はクラスメイトの間ををすり抜け、教室を出て行った。
椿は三年A組の教室の前にいた。扉を開き、目的の人物を探す。
その人物はいた。窓際の近くに友達とニ、三人で話ている。
椿は迷わず、その人物に向かった。椿はとびっきりの笑顔でその人物に話し掛けた。
「今日和。楓先輩」
「雫?」
声をかけられた相手は、驚いた表情で椿を見た。
「弟の椿です。先輩、お元気そうですね」
椿はにこりと微笑み、楓に会釈した。
黒岩楓(くろいわかえで)。童顔で背が低く、年より若く見える。そのせいか、椿の方が年上に見えた。
楓はそんな自分の顔を嫌っていたが、女子の間では人気だ。いわゆる可愛い系の少年だ。
その上、優しく愛嬌もあるのだから人気が出ないわけがなかった。
楓とは親ぐるみの付き合いで、小さい頃から知っている。しかし、三年前、椿達は引っ越した。手紙のやり取りなどはしていたが、会う事はなかった。
「ご、ごめんね。雫と間違えて……久しぶりだね、椿。元気だった?」
楓は顔を赤らめ、椿に謝った。
その様子を、椿は冷たい眼差しで楓を見た。そして、微笑んだ。
「今日こっちに転校してきたんです。よかったら、今日家に寄りませんか?姉さんも喜ぶと思うんで」
「えっ?雫も一緒に転校したんじゃないの?」
その問いに椿の顔が曇った。そして、重い口を開いた。
「姉さんが……雫姉さんが体調を崩して今、寝たきりなんです。それで、先輩さえよければ今日、姉さんに会ってくれませんか?」
「そうか……雫が……」
楓はしばし考え、頷いた。
「良いよ。俺でよければ」
「有難う御座います!俺帰り、校門で待ってますね。それじゃ、失礼します」
椿は楓に一礼し、教室を出て行った。
「せいぜい、喜んでれば良いさ……」
椿は小さく吐き捨て、自分のクラスに急いで戻った。
放課後、椿と楓は一緒に帰っていた。
普段なら楓には迎いの車が来るのだが今日は椿と一緒に帰る為、断ったのだ。
楓は、そわそわしていて落ち着きがなかった。
正直、三年ぶりに会った椿がまさか、こんなに成長するとは思っていなかったからである。
三年前、家が近くよく椿の姉【雫】と三人で遊んだものである。その頃の椿は、優しいが弱々しい少年であった。
しかし、今はそんな弱さを感じられない。雫も変わったのだろうか。
「先輩、落ち着きがないですね」
「えっ?そうかな。久しぶりに椿に会ったものだから少し緊張しちゃって」
楓は照れくさそうに笑い、顔をうつむけた。椿は冷ややかな瞳で見ている。
「姉さんも先輩に会いたがってますよ。ああ、もうすぐ見えてきますよ」
椿が二階建ての家を指差した。普通の一軒家である。
「ここが家です。今開けるんでちょっと待ってください」
椿は玄関のドアに鍵をさし、開いた。中は薄暗く人の気配を感じない。
「どうぞ。上がって下さい」
椿は靴を脱ぎ、家の電気をつける。家は暖かいオレンジの光に包まれた。
「お、お邪魔します」
楓はいそいそと靴を脱ぎ、家に上がる。結構広い。楓が家を見回していたら、椿が階段を上がっていってしまった。
楓は慌てて後を追った。階段を上る音が響く。二階に上がると、椿が一番奥の部屋の前に立っていた。
「遅いですよ、先輩」
「先に行かないでよ、椿~」
楓は少し息を切らしていた。思ったより、緊張しているようだ。手が汗ばんでいる。
椿は部屋を軽くノックし、部屋に入った。楓も後に続く。
「ただいま、姉さん」
部屋はとても綺麗で、ぬいぐるみや花柄のインテリアが置いてある。
置くにベッドがあり、そこに少女がいた。さっきまで本を読んでいたのか手元に閉じた本がある。
椿と見間違うほどの美しい少女だった。椿との違いは少女の方が髪が長く、痩せている。病人のように顔色が悪い。彼女が椿の姉「雫」である。
椿は雫のベッドのところに行く、隣にしゃがんだ。楓も後を追う。雫は笑顔で椿を迎えた。
「お帰りなさい、椿」
「姉さん、楓先輩が来てくれたよ」
「久しぶりだね……雫」
楓は精一杯の笑みを浮かべ、椿と同じようにしゃがみ込む。
雫は驚いた表情をし、恐る恐る楓に声をかけた。
「……楓君?本当に?」
「本当だよ。雫、身体大丈夫?無理しないでね」
「嬉しい……私は大丈夫よ……」
そう言うと雫は両手で顔を抑え、泣き出した。椿と楓は顔を見合わせ笑った。
「姉さんは泣き虫なんだから……」
椿と雫は一卵性の双子である。普通に考え、性別の違うもの同士はありえない。
しかし、人間の身体は今だ20%ほどしか解明されておらず、何が起きるのかは予測できないのだ。
極稀な確率で雫と椿は生まれた。雫のほうが椿より感受性が強く、椿は雫より運動神経が良い。
どちらかが足りないものを持って補っている。
「雫、泣かないで。昔とちっとも変わらないね」
楓は優しく、雫の髪を撫でた。三人は昔話に花を咲かせた。
時計が七時を告げ、楓は帰り支度をして椿の家を出て行った。
最後まで名残惜しそうだった。
「姉さん、大丈夫だった?」
椿は雫のベッドに頭を預けた。雫が椿の髪を撫でた。母のように椿を慈しむ。
「私は大丈夫……彼はなんとも思っていないようね」
月光が雫を照らす。口元には微笑を浮かべている。雫は美しかった。誰もが目を奪われるだろう。
「そうだね。俺はアイツを許さない……絶対に」
椿は歯軋りした。自然と手が拳になっている。
「ありがとう、椿」
「俺が姉さんを守るよ。だから、安心して……俺は姉さんを愛しているから」
椿はそう言うと、瞳を閉じた。
「ええ。私も椿を愛しているわ……」
雫は微笑んでいる。その瞳には、感情というものはなかった。
数日後、学校の昼休み。楓は椿を尋ねた。椿は窓際の席で、同級生達とお弁当を食べていた。
女子たちが楓の存在に気づき、騒ぎ出す。椿も楓に気づいた。
楓は女子なんて眼中にないのか、椿の元による。椿は箸を置き、微笑んだ。
「こんにちわ、楓先輩」
「ごめんね、お弁当食べてる時に来て」
椿が楓をチラッと見た。その瞳には軽蔑の光が含まれている。
「気にしないで下さい。で、何の用ですか、先輩?」
椿はにこっと微笑み、楓に聞いた。楓が照れながら笑った。
「明日、雫暇かなぁって思って」
「さぁ……姉さんに何か?」
椿の表情が変わった。疑るような瞳で楓を見た。
しかし、楓は気づいていない。楓は頬を少し紅くしている。
ただ、雫の事しか考えていないのか、椿を見ていない。
楓は毎日のように椿の家に足を運ぶ。椿は気をつかってか、いつも何処かに姿を消す。
楓はそんな椿に感謝の気持ちでいっぱいだった。そのため楓は、椿に雫について色々相談する。
「そ、そのう、あ、明日」
「姉さんとデートするつもりですか?」
椿にさらっと言われ、楓は顔を紅くした。自分の顔がとっても熱いことがわかる。
「ひ、久しぶりに会ったし、どこか遊びに行きたいなぁって……」
口をもごもごさせながら楓は言った。言葉の最後らへんはもう聞き取れない。
椿は声をあげて笑った。椿が声をあげて笑うのは珍しい。普段、口元しか笑わない。
「わ、笑うなよ!」
「あー、オカシ。でも、俺は姉さんと出かける事に賛成できませんね」
椿が突然、真顔になった。瞳が冷たく輝く。椿の気迫に押されてか、楓がびくっと身体を震わせた。
「姉さんはあの通り身体が弱いんです。遠出なんかされたら倒れます」
椿は吐き捨てるように言った。楓は黙った。椿の言うとおりだからだ。
雫は身体が弱いから、学校にも通えない。それを遠出させる方がおかしい。
楓は自分の事しか考えていない事を思い知らされ、自分を呪った。
椿がくすっと笑った。なんて冷たい笑みなのだろう。
「でも、姉さん、楓先輩の家に遊びに行きたいって言ってましたよ。
楓先輩の家って結構近いですよね。それなら、姉さんも心配ないですし」
楓はその言葉に救われ、顔をあげた。優しい笑顔で椿は言った。さっきの冷笑はまるで嘘のようだった。
「でも、変な事はしないで下さいよ?」
「するかぁ!!」
楓が顔を赤くしながら反論した。椿はまた声をあげて笑った。
「そんなにムキにならないで下さいよ。まぁ、姉さんと相談して決めてくださいね」
「そうだね。じゃあ、もう行くね。お昼邪魔してごめん」
「別にいいです。気にしてませんから。じゃあ、また」
楓は椿に手を振って、教室を出ていた。椿も笑顔で見送った。
楓の姿が見えなくなると、椿はくすっと笑った。
「せいぜい浮かれてればいいさ……」
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